今治は「自然」「産業」「文化」のバランスの取れた街です。

今治タオルの歴史は、明治27年に綿ネル機械を改造して、タオルの製造を開始したことから始まります。
今治市内には多くのタオルメーカーが存在し、町全体が「タオル創り」に協力して取り組んでおり、現在は、今治全体で織機台数、約3,200台(能力換算)、従業員数約2,500人、年間生産額約170億円で、全国生産の約60%を占めています。
質量共に日本一を誇り、日本国内はもちろん世界各地で愛用されています。

今治は「自然」「産業」「文化」のバランスの取れた街です。
かつては政治・経済・文化の中心地として栄える。

今治地方で出土した古墳時代の多くの遺跡や、平安時代に伊予国国府、その後国分寺が置かれたことを見ても、今治市は昔からこの地方の政治、経済、文化の発信地であったということがわかります。

中世室町時代には村上氏などの伊予水軍が瀬戸内海の制海権を持つほど力を持っていました。多くの大名の水師として戦国時代に活躍しています。
江戸時代に入ると、藤堂高虎が宇和島藩を含む約20万石の領地を治め城を築きます。「今張」を「今治」と改め今治城の城下町として都市整備が進み発展していきます。
その後、菅原道真を先祖に持つ久松松平家が藩主となり、版籍奉還まで治めます。

明治以降、市町村制の施行により今治町が誕生、大正9年に日吉村と合併して今治市が誕生しました。その直後より港湾の整備を進め、四国初の開港場となります。
昭和に入ってから、綿糸紡績、タオルなどの繊維産業や造船業とその関連産業が商業都市として発展を勢いづけます。
平成11年には瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)が開通し、中四国の交流、流通の拠点となりました。

今治イメージ 今治イメージ 今治イメージ
タオル製造をはじめ、全国屈指の地場産業を擁します。

タオルと並び今治を代表する地場産業は造船業です。今治の造船業は地理的条件や波が穏やかな良港に恵まれたことによる船舶修繕から発展したと記録に残っています。
塩や菊間瓦、桜井漆器などの製品や、それを生産するための原材料を運ぶために海運が発達しました。
海運が盛んになると、船の修繕や港湾の整備も行われます。また、来島海峡は日本三大急潮の一つで、ここを漁場とする漁師には優れた操船技術が必要です。その技術の蓄積は近代造船発展に大きく貢献します。
今では、年間売上高約3,000億円を超え、全国有数の造船地区となりました。

今治市の西部に位置する菊間地区では瓦の製造が盛んです。今を遡ること約700年前の鎌倉時代から、伝統のある技法、技術によって作られた丈夫な瓦の製造を今に伝えています。
菊間瓦は、松山城、大山祇神社などの城郭、神社、寺院や、独特のいぶし銀の美しさや耐久性から一般の住宅にも多く使われています。

今治市の北部に位置する諸島部では、石材、製塩業が盛んです。
大島地区は、国会議事堂、赤坂離宮、大阪心斎橋、愛媛県庁にも使われている大島石が有名です。“石の貴婦人”とも呼ばれ、石目が細やかで、青味を含んだ石肌を持ち、国産石でも有数の堅さを誇ります。現在では高級墓石として絶大な信用と支持を得ています。

伯方地区では、天日海塩の原料を海外より輸入して、瀬戸内の海水で溶かして自然塩を製造をしています。
ここで作られる塩は、塩味の中にもほんのりとした甘さを感じるのが特徴です。にがり(苦汁)をほどよく残して海水中の成分を生かしてつくった風味のあるお塩で、食用塩として全国の家庭で使われています。